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江戸時代の錦糸町界隈

江戸時代からの歴史ある街として発展した錦糸町には、 今もその歴史を彷彿とさせる旧跡や神社仏閣が多く残されており、それらから錦糸町の歴史を紐解くことができます。

武家屋敷として発展した錦糸町
江戸時代に入り、湿地帯であったこのあたりの開発が始まったのは明暦3年(1657年)の大火、振袖火事がきっかけでした。
この火事で江戸はほぼ全滅、10万人の死者が出ました。
そのため幕府は防火対策中心の都市復興に着手し、万治2年(1659年)に墨田川に両国橋をかけ、本所に武家屋敷を移転させました。
そして本所奉行所を中心に、堅川、大横川、南北割下水の開さくや区画整理を進めて武家屋敷中心の市街に生まれ変わりました。
現在のJR錦糸町駅の南側あたりに出羽庄内城主の坂井家屋敷、北側には奥州弘前城主の津軽越中守下屋敷などが位置し、多くの武家屋敷が並び、発展しました。
また、従来が湿地帯であったことから米の生産にも適しており、江戸に向けての米の産地としても栄えました。

「鬼平」こと長谷川平蔵が活躍した町
江戸時代、徳川幕府は凶悪な賊の群れを容赦なく取り締まるために火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)という特別警察を設けていました。
独自の機動性を与えられたこの火付盗賊改方の長官こそ、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の主人公である長谷川平蔵です。
延享3 (1746)年、平蔵は港区赤坂6丁目に生まれ、19歳のとき、父とともに本所三ツ目(現・都営地下鉄新宿線「菊川」)に移り住みました。
29歳で書院番士になり、39歳で最高位の御徒頭に出世しました。
天明7年(1787年)、平蔵42歳の5月、江戸で起こった打ちこわしの暴動を、先手組と与力75騎、同心300名を率いて鎮圧しました。
この手腕が時の老中・松平定信の目に留まり、火付盗賊改に任ぜられ、その後火付盗賊改長官になりました。
平蔵は歴代の火付盗賊改長官とは異なり、無用な拷問を避け、自白によって罪を認めさせました。
また、若い頃から独自に培ってきた情報網を使い迅速な逮捕で市中の評判となりました。
神稲小僧や妖盗葵小僧の逮捕から、人足寄場の設置と歴史に名を刻んでいます。
その活躍の舞台が錦糸町界隈で、小説の舞台ともなっています。

亀戸天神の門前町として栄えた町
亀戸天神は、寛文2年(1662年)、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府より勧請され、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢として、参拝者でにぎわいました。現在でも藤棚が有名で、四季問わず観光客が絶えません。
亀戸天神にほど近い江戸時代の本所界隈は亀戸天神の門前町としても栄え、参拝者相手の茶屋や商店が軒を並べていました。

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